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大気境界層の観測を目的とした目に安全な小型レーザーレーダーの開発

論文紹介

松井 一郎

 "Eye-Safe Compact Mie Scattering Lidar Using a Diode-Laser-Pumped Nd:YAG Laser for Measuring the Atmospheric Boundary Layer"

 I. Matsui, H. Kubomura, H. Imoto and N. Sugimoto: Jpn. J. Appl. Phys., 33: 6569-6571 (1994).

 レーザーレーダーはレーザー光の大気による散乱を利用して,大気中のエアロゾルや汚染気体などを測定する装置である。レーザーレーダー手法には種々のものがあり,いろいろな観測研究に利用されている。レーザーレーダーによるエアロゾルやオゾン,高層大気の気温などの測定は,地球環境研究において既に欠くことのできない観測機器のひとつとなっている。また,大気汚染の研究においても,エアロゾルの分布を利用した大気境界層構造の可視化や,大気汚染起源のオゾンの測定などにレーザーレーダー手法が活躍している。

 さらに,都市大気汚染のモニタリングにレーザーレーダーを応用することによって,地上モニタリングのみでは得られない詳細な汚染動態の監視が可能となると期待される。例えば,複数の地点にエアロゾルの高度分布を測定する小型で簡易なレーザーレーダーを配置して大気境界層構造の動態を監視すれば,高濃度汚染の出現などの機構を考慮した状況の把握が可能となる。しかしながら,これまでのところ,大気汚染モニタリングにおいて,レーザーレーダーは実際に広く用いられるには至っていない。これは,ひとつには,運用レベルでレーザーレーダーのデータを活用する技術が確立していないことによるが,その一方で,目に対して安全で,取扱いや保守の容易なレーザーレーダー装置が開発されていなかったというハード面の問題が大きい。都市において無人で定常的に運用するためには,仮に誰かがレーザービームを直接のぞき込むような状況が生じたとしても,目に対する安全性を確保する必要がある。本論文では,このような問題を解決する新しい発想のレーザーレーダー装置の開発研究について報告した。

 目に対する安全性については,ANSI(アメリカ規格協会)とJIS(日本工業規格)などの基準があり,いずれもほぼ同様の内容であるが,これを満たすことが必要条件となる。そのためには,1.5μm以上の目に対する安全性の高い波長を用いる方法と,レーザーの強度自身を可能な限り小さくする方法のふたつが考えられる。例えば,YAGレーザーの1.06μmと比べて,1.5μmでは JISで定められた目に対するレーザー光の最大許容強度は約2000倍高い。従って,この点のみを考えるならば1.5μmを用いる方が有利である。しかし,その反面,1.5μmなどの近赤外領域のレーザーはまだ技術的に確立されておらず,小型で信頼性の高い装置を作ることが困難であるという問題点がある。

 そこで,本研究ではレーザーのパルスエネルギーを小さくすることによって目に対する安全性を確保する方法を採用した。特に,新しい提案として,障害物からの強い受信光を受けたときにレーザー光を1秒程度遮断する安全装置を用いることによって,高繰り返しのレーザーを利用できるよう工夫した。 開発した装置では,レーザー部に連続発振の半導体レーザーで励起したパルス YAGレーザー(1.06μm)を用いた。これは,小型で野外での運用性にも優れる全固体化レーザーの中で最も技術的に確立されているものである。レーザーのパルスエネルギーはパルスの繰り返し数(1秒当たりのパルス数)が毎秒1kHzのとき250μJであった。上述の安全装置を用い,また出力ビーム径を10cmとするときJISの基準を満たす最大パルスエネルギーは390μJとなるので,開発した装置の出力はこれと比べて小さく安全である。受信望遠鏡および検出器には従来のレーザーレーダーと同様のものを用いた。また,信号処理にはパルス繰り返し数が大きいことを考慮して高速の積算機能を持つ波形記録装置を用いた。

 本研究のひとつのポイントは,低パルスエネルギー,高繰り返し数(例えば250μJ,1kHz)のレーザーレーダーによって,従来の高パルスエネルギー,低繰り返し数(例えば25mJ,10Hz)のものと同等の性能が得られるかという点であった。背景光などによる雑音が十分に小さい理想的な場合には,平均出力エネルギーが等しい限り同等であるはずである。実験結果では,理想的な場合の理論値に比べて多少雑音が多いものの,図に示すように昼間の大気境界層内のエアロゾルの日変化を十分な信号対雑音比で測定できることが示された。この図では午前の混合層の発達や夜間の霧の発達の様子が見られる。

 今後,本研究を基に,簡易なレーザーレーダーをネットワーク的に用いた都市大気の監視システムを検討したいと考えている。なお,本研究の一部は,国立環境研究所と日本電気株式会社との研究協力契約により実施したものである。

図  開発した小型レーザーレーダーにより測定した大気境界層構造の日変化

(まつい いちろう,大気圏環境部高層大気研究室)

執筆者プロフィール:

八戸工業大学卒,工学博士
〈現在の研究〉レーザーレーダーによる大気の観測研究
〈趣味〉アマチュア無線