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環境健康研究への夢 −部長就任のご挨拶に代えて−

論評

遠山 千春

 昨年10月1日付けで,環境健康部長を仰せつかった。所長から内示を頂いた時には,一瞬の間に様々なことが脳裡をよぎり,四文字熟語が口をついて出てくるゆとりはなく,晴天の霹靂に近い心境であった。自ら手足を動かし研究活動を行うことは関連学術研究の進展に対する感性を保つために不可欠であるが,研究運営に関する任務との間にどのようにバランスをとっていったら良いのか,私個人の課題は大きい。いかに肩から力を抜いて,かつ全身全霊を尽くして日々研鑽できるかなどと,難しいことをつい考えてしまうこの頃である。この場をお借りして,所内外の方々から頂いた励ましのお言葉に厚くお礼申し上げます。

 就任にあたり,環境健康系(基盤部門の環境健康部,及び総合研究部門に属する健康関連チーム)におけるこれまでの研究と今後の研究の方向性について考えていることを披瀝し,ご批判を賜りたいと思う。

 環境健康系の研究体制は,平成2年の「組織見直し」の際に環境生理部と環境保健部の2部を母体に再編された。それまでは,環境生理部は実験動物を対象とした研究,環境保健部は人を対象とした研究と大まかな区分がなされていた。この時代の研究の主なものは,窒素酸化物・オゾンなど大気汚染物質,及びカドミウム等の重金属汚染の生体影響を,動物実験あるいは汚染地域における人を対象とした調査研究により解明しようとするものであった。大気汚染ガスの影響をネズミを用いて調べた慢性影響研究などでは,共通の実験計画に基づき研究者が各々の目的に応じて動物組織を分け合い分析をしたと聞いているし,秋田県や長崎県などのカドミウム土壌汚染地域,並びに沿道大気汚染地域において調査をするなど同じ釜の飯を食いながら研究をしていた。こうした時代から育ってきた研究者には,基礎的な研究をしていても常に頭の片隅には環境(公害)問題への指向性があり,また共感に支えられた自由闊達な意見交換など,研究者としての「仲間」意識が醸成されている。私には,これが現在の健康系の研究活動を発展させる無形の財産となっているように思われる。

 環境庁の研究所に所属する環境健康系の研究は,当然のことながら,環境有害因子(重金属や有害化学物質に加えて,騒音や紫外線などを含む)の人への影響のリスクアセスメントを指向した研究が基軸となる。最近はマスコミなど社会的風潮として,「公害」は死語となったかの感もある。しかし,窒素酸化物等による大気汚染は改善されておらず,人の健康に関連する環境研究はこれまでの局地汚染における健康被害に係わる研究のほか,地球規模環境問題など直接的には生体反応・健康影響を判別しにくい問題,あるいは開発途上国における健康問題などへと研究対象の幅も広がっている。また,研究分野として分子環境毒性学や免疫毒性学を確立させる必然性が高まっている。環境健康系においては,仮りに実験動物を扱っていても,研究対象は,あくまでも人間集団である。わが国が「公害」先進国であったという歴史からの教訓を忘れることなく,人の健康をいかに守り増進させるかという観点からの調査・研究を目指して行かねばならない。

 環境有害因子の生体影響評価という,どちらかと言えば応用的研究に特化してまとまった研究者集団がいる研究所は,他に極めて少ない。大学の医学・薬学分野に「環境」等を標榜した研究室があり優れた研究を行っている研究室も少なからずあるがそれぞれ規模は小さい。20年前の国立公害研究所設立当初に比べれば,総予算に占める人件費・光熱水料費などが増えて試験研究費はかなり少なくなり,研究施設・機器の老朽化等が進んでいる。いわゆる先進諸国に比べると国家の科学技術予算が充分ではないという前提での話だが,それでも相対的にはそれなりに恵まれた研究環境を我々は享受しているように思う。我々一人一人が,与えられた研究環境を充分に生かし切るだけの努力をしているのか,思い返してみることが必要なように私は思う。

 最近,研究・研究者評価の試みが教育・研究機関,あるいは学術雑誌などでも盛んである。自らの学問分野のみならず他の学術分野への波及効果の大きな研究成果を出すことは極めて困難な課題である。ましてや応用的側面も強い環境研究分野の研究から発信することは生やさしいものではない。しかし,我々健康系の研究者は,上述の環境有害因子の健康リスクアセスメントに係わる研究の中に自らの研究者としての夢・気概・野望等々を実現する道を求めるようにしたいし,また一見無関係にみえるかもしれない基礎的研究であっても,それがゆくゆくは環境研究として価値あるものとして結実するとの信念に裏打ちされた調査・研究をするようにしたいものだと私は思う。

(とおやま ちはる,環境健康部長)