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生態系研究の重要性とその新しい研究アプローチ

論評

生物圏環境部長 安野 正之

 研究所の研究が多岐にわたるようになり、大気汚染の植物への影響、水汚染による生物相変化などの研究はむしろ片隅に追いやられた。これまでの研究でそれぞれ専門領域を深めた研究者に新しい研究を期待するのが無理である場合、新しい研究分野に対応できる人との入れ替えが望まれる。しかし現実には不可能に近いので個々の研究者の能力において転換を強いられている。新しい分野は地球環境変化に伴う生態系影響、変化の予測、砂漠化や熱帯林伐採による環境破壊に対処するのに必要な研究、新生生物の生態系かく乱のリスクの研究などどれも生態系影響としてとらえねばならないものばかりである。環境庁研究所の環境研究の売りものとしては生態系研究であることは当初から提唱してきたが、最近は他の研究機関でも同じことを売りものにしてきているので残念ながら独自のものとはいえなくなった。さて研究者の立場として研究課題を転換しうるか?転換しないですませるか?また、転換したときの成果が認められるのに5〜10年の時間が必要であるが耐えられるかなど多くの問題を抱えている。

 改変した組織は一見この要求に対応するためであるが、実際は見かけだけのつじつま合わせに終わっている。研究所では生物系の研究者は多いことになっているが上記の問題に対応するにはあまりにも少ない。研究者が不足しているのは研究テーマが多くなりすぎたことも原因している。新規テーマのうち、研究者がこれまでの技術や知識の蓄積で対応できる場合、ある意味では研究としての展開は望めない。研究所はそれなりに報告書が出て満足できるかもしれないが、研究者の成長が留まることは研究所としては長い目で見たとき決して喜ばしいことではない。したがって基礎研究の重要さがあるわけで、それに適した体制や予算を期待しなければならない。

 生態系研究の重要性は誰も疑わない。しかし、生態系を間違って理解している例が多い。“エコロジー”と同じように考えている人も多いのではないか。何故生態系レベルの研究が必要なのか理解が十分でない。生態系を実態としてとらえるにはどうしたらよいか?我々研究者にとって永年の宿題である。

 若い頃、陸水学者のHutchinsonのHomagae to Santa Mariaという短いエッセイに感銘を受けた。それはイタリアの一つの湖に多数の生物種が生息しているのは何故なのかから始まっていた。この研究所に来てからはその逆の、何故少数の生物種しか生息していないのかという場に遭遇することが多かった。つまり汚染された環境は極限に近い状態でその環境に耐えられる種が少ないことに起因している。しかしそれほど汚染がひどくなくても種類数が少ないことがあるのである。熱帯を除けば安定した生態系では小数種によって極相となる。その機構には生物相互の関係があって一つの方向へ進むことが生態学の教科書では早くから述べられている。何故その特定種であるのかは必ずしも説明できていない。

 生物種の保護あるいは保全にどれだけの面積、どれだけの個体数が必要であるのかは生物によって違う。通常は表現型として認識できない障害も劣性遺伝子がホモになったときに発現するのでその集団は絶滅へと向かう。現在の絶滅の危機にある生物種がどれ位の近縁にあるかを調べる必要がある。言い替えると、どの位の大きさの集団であれば種を維持できるのか?これらは最近のDNA研究からの方法が大きく寄与すると思われる。いずれにせよ生態学も分化して分子生態学という雑誌も創刊され、発行者からの私信によると評判も良いということである。

 自然保護研究のもう一つの主要研究課題は対象となる場の生態系の維持機構である。広い意味で生態系構成生物の環境形成作用がどの程度働いているのか?外からのかく乱に対してどの程度の復元力があるのか?その機構はどういうものかなどである。

 かつて生態系研究ではエネルギー転換のシステムとしてのとらえ方をしたが、生物相互の関係を粗雑に扱ったため行き詰った。今は多様なアプローチがとられるようになってきたが、逆にまたマクロにとらえる必要もあると考えられる。

(やすの まさゆき)