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熱帯林における野生生物の多様性

プロジェクト研究の紹介

椿 宜高

 地球上から多くの種が消失しつつあることはすでに周知の事実である。しかし、このことが語られるとき、絶滅に瀕した動植物たちがしばしば話題の中心になり、人間による乱獲がその原因であるという結論が導かれる。たとえば、北米で狩猟のために絶滅してしまったリョコウバト、日本やノルウェーを中心とした捕鯨国の乱獲によるクジラ類の減少、そのほか、ウミガメ、アフリカゾウ、ミンク等々。こういった動物の名前はレッドデータブックに数多く見つけることができ、特に保護すべき貴重な動物であると説明されている。

 このような野生動物の中で、特別大きいとか、かわいい動物の減少の場合には動物愛護の感情に訴えることができるため、比較的対応が容易である。企業や政治家にとっても希少動物の保護を訴えると、自分のイメージアップに使えるので、利用価値が高くなってきているからである。これは動物保護の運動が一定の成果を挙げてきた結果であると総括できよう。

 しかし、我々は、野生生物保護のやり方を、もう一歩先に進める必要がある。というのは、レッドデータブック方式には、いくつか問題点が指摘されているからである。

 まず、野生生物の種が減少してきた大部分の原因は、狩猟によるものではなく、人間活動の増大による生息地破壊によるものである。レッドデータブックに基づいて野生生物の保全を進めようとすると、この点をないがしろにしてしまう危険性がある。

 次に、レッドデータブックにおいて、絶滅を心配されている種は、大部分がちょっと変わった、美しい動物たちであるが、これ以外に話題にのぼることなく消滅してゆく動物たちが相当数あることを忘れてはならない。目立つ動物は保護すべきだが、目立たない動物はどうでもよいということはないのである。

 また、絶滅危惧種を限定して保護するという方法を種ごとに繰り返してゆくと、そのうち必ずジレンマに陥ってしまう。どこまでやってもきりがなく、一つの種に努力を集中している間に、どんどん他の生物が絶滅してしまうということになる。絶滅危惧種だと認定されたときにはすでに時遅し、というのが一般的である。

 おそらく、これからの新しい方法は、種ひとつひとつに注目するのではなく、種の多様性に価値をおいて、多様性そのものを保全してゆくことだろうと考えられる。しかし、これは非常に困難な課題である。というのは、多様性に価値があるのかと問われたときに、我々ははっきりした答えをまだ持っていないからである。多様性が高いと生物群集の構造が安定するらしい、というくらいの知識しか我々は持っていないし、多様性を高く維持しておけば、現在は利用価値がない生物も、将来、農作物や工業生産物、薬などに利用できるかもしれない、という正当化ぐらいしかできていないのだ。我々に必要なのは、多様性が高いことはいいことだという信仰を持つこと、なのではないかとすら考えたくなる。しかし、あながち間違った信仰ではないような気もする。

 野生生物保全研究チームは、マレーシア半島の熱帯林で野生生物の保全のための研究を始めた。現在マレーシア半島に残されている熱帯林は、人手の入りにくい山岳地帯を除けば、平地に散在する規模の小さなものだけである。我々が取り組もうとしている課題は、伐採によって森林が分断化されると種の多様性にどのような影響がでるのかという問題である。

 伐採の影響は、単に森林面積が小さくなって野生生物の生息場所が狭くなるというだけではない。残された森林の周りは、裸地にされたあと、ゴムやアブラヤシなどの農地に置き換えられてしまうので、太陽の直射日光が大地を照らすことになり、どんどん気温が上がり次第に大地は乾いてくる。そこで生じた高温の乾いた風は森林に吹き込み、湿潤だった森林が乾燥し始める。

 すると、森林の野生生物の生活に変化が現れる。(これから先は可能性のある一つのシナリオでしかないが)まず、乾燥した所には住めない動物たち(特に両生類、特定の昆虫グループ)や人を恐れる動物(例えば、マメジカなどの小型のほ乳類)は森の奥へと追いやられるか、他の森に移動するか、あるいは絶滅するしかない。それを食料としている動物(ヘビやサル、ヤマネコ、トラなど)も、森の奥へと移動するか、いなくなるかである。また、乾燥を好むシロアリ類が勢力を振るうようになり、あらゆる落葉落枝を食いつくし、他の土壌動物を駆逐する。すると森林内の物質やエネルギーの循環がそれまでと全く変わったものになってしまう。

 一方、それまで森林の奥には住めなかった動物(草原と森林の境界で生活していた種類)が外から侵入してくるという現象も起こるであろう。現に、森林の周りのプランテーションではアブラヤシの実を食ってネズミ類が繁殖している。そのため、森林の周辺部にネズミのトラップを設置すると草地性のネズミがしばしばかかる。

 つまり、野生生物にとって森林内部の環境は均一ではなく、中心から周辺へと変化するのである。森林を小さく孤立化させることは、周辺部的な環境だけからなる森を作っていることに他ならない。森の中に中心部的な環境を残すにはある程度の面積が必要なのである。我々は野生生物にとってどのような森林が健全なのかを明らかにしたいと考えている。

(つばき よしたか、地球環境研究グループ野生生物保全研究チーム総合研究官)