ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

粒子状物質を主体とした大気汚染物質の生体影響評価に関する実験的研究 −ディーゼル排気粒子(DEP)からの酸素ラジカル生成とアレルギー性疾患との関連について−

プロジェクト研究の紹介

嵯峨井 勝

はじめに

 黒煙をもくもくと舞いあげて走るディーゼル車を見て、「あの煙を毎日吸わされたら、ぜん息か肺がんにでもなるのではないか」と心配になる人は多いことと思う。ディーゼル排気粒子(DEP)によるぜん息や肺がんの発症機序の解明は本プロジェクトの中心課題である。ここでは、最近我々のプロジェクトで見いだされた、DEPから酸素ラジカルが生じ、このラジカルがぜん息誘発物質(化学伝達物質)を遊離するという興味ある現象のメカニズムに絞って紹介する。

酸素ラジカルとは

 酸素ラジカルとは、次式に示すように、酸素(O2)が1電子還元されて生じるO2-(スーパーオキシドラジカル)やO2-から派生する・OH(ヒドロキシラジカル)等のことである。
O2 → O2- →H2O2 → ・OH+OH (1)
        SOD


 酸素ラジカルは人間をはじめ多くの好気性生物が進化の過程で、酸素を利用して極めて効率のよいエネルギー産生系を獲得したあとに背負い込んだ宿命の酸素毒性の原因物質である。例えば、動物に80%以上の高濃度酸素を吸わせると著しい肺傷害を起こす。しかしこのとき、スーパーオキシドジスムターゼ(SOD)というO2-をH2O2に換える酵素(式(1)参照)を投与しておくと肺傷害は予防される。NO2やO3を吸わせたネズミでも予めSODを投与しておくと肺傷害は効果的に防止できる。このことから、NO2やO3の毒性もO2-あるいはO2-から派生する・OHや過酸化脂質等によることが知られている。このO2-は我々の体の中では正常時でも吸入酸素の1〜2%は生じているが、生体はその毒性を防ぐ機構を備えている。しかし、強いストレスがかかったり、環境汚染物質を摂取したりするとO2-が多量に生じ、生体を傷害する。

 一方、これら酸素ラジカルは悪い作用ばかりではない。白血球やマクロファージなどが体内に侵入した細菌やウイルスを殺菌するときにO2-や・OHは殺菌用ピストルの弾玉の役割を果たしている。

 このように、酸素ラジカルは正常細胞に対しても細菌やがん細胞等の生体異物に対しても強力な傷害作用を示す。

ディーゼル排気粒子からの酸素ラジカルの生成

 我々の最近の研究で、DEPが相当量のO2-や・OHを産生し、気管内投与では0.2mgでもマウスを100%死に至らしめることが分かった。このとき、先に述べたSODを予め投与しておくと死亡率は20〜30%に低下する。また、この粒子を有機溶媒で洗ってから投与すると毒性は全くなくなる。このことから、毒性の本体は有機溶媒可溶性画分にあることが推測される。この有機溶媒可溶性画分にはベンズ(a)ピレン等の発がん物質が多量に存在していることが知られているが、後述するように、気管支ぜん息やアレルギー性鼻炎等のアレルギー性疾患の原因になる酸素ラジカルを発生する物質もこの画分に多量に含まれていることが明らかになった。

ディーゼル排気粒子によるアレルギー性疾患発症の可能性

 少量のDEP投与では肺に白血球やリンパ球が浸潤してきて、激しい炎症症状が見られた。この炎症は気管支ぜん息等の重大な原因になることもよく知られている。また、O2-や・OHによって肺の肥満細胞の膜内脂質成分が過酸化されることなどによって膜の透過性が高まり、肥満細胞内の顆粒が飛び出し、その中に含まれているヒスタミン等の化学伝達物質が遊離してくることも認められた(図中の帯点部分)。この現象は、気管支ぜん息やアレルギー性鼻炎等の、いわゆるアレルギー性疾患の発症機構に新しい知見を導入するものといえる。これまで、ぜん息やアレルギー性鼻炎は、図に示すように、経気道的に侵入したスギ花粉その他のアレルゲンが、すでにIgE(免疫グロブリンE)抗体と結合している(感作されている)肥満細胞に接合することによって、膜の透過性やCa流入が亢進して、その結果ヒスタミン等の化学伝達物質が細胞外へ遊離され、それらの物質が気管支を収縮させたり、毛細血管の透過性を亢進させたりする、いわゆるアレルギー症状を引き起こすと考えられている。それ故、この説では、アレルギー性疾患の発症にはIgE量が高いことが必須の条件となっていた。ところがその後、各地の大気汚染地域に住むぜん息患者のIgE量は決して高くはないことが分かり、大気汚染によるぜん息発症機構に矛盾が生じた。そのため、「IgE抗体産生を伴わない、別のぜん息発症機構が存在する」ものと考えられていたが、今日まで、両者間の因果関係を説明しうるメカニズムは報告されていない。こうした状況のなかで、上記のO2-産生を介するヒスタミン等の化学伝達物質遊離のメカニズムは、IgE抗体産生増加を伴わないアレルギー性疾患発症のメカニズムの一つである可能性を示唆するものといえる。

今後の課題

 近年、気管支ぜん息患者の肺内マクロファージのO2-産生能は正常人のそれよりはるかに高いという事実に加え、成人呼吸切迫症候群、肺気腫、多くの炎症性呼吸器疾患あるいはウイルス感染による肺傷害にまでO2-が重要な役割を果たしていることが報告されている。そこで、DEPから生成するO2-が発がんに及ぼす影響とともに慢性閉塞性呼吸器疾患の発症に果たす役割を明らかにしてゆく必要がある。さらに、気道過敏性やアレルギー性鼻炎等のメカニズムも含めて、栄養の偏り等のヒトのライフスタイルとの関係及び遺伝的素因の解析を考慮しながら、ディーゼル排気の吸入実験によって、上記疾患に及ぼすディーゼル排気の影響を明らかにしてゆきたいと考えている。

(さがい まさる,地域環境研究グループ大気影響評価研究チーム総合研究官)

図  免疫的刺激によらない気管支収縮や血管透過性亢進のメカニズム