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2020年6月30日

エアロゾルの実態をとらえる

Interview研究者に聞く

大気中の微小な粒子であるエアロゾルは、大気汚染や気候変動に影響を与えることが知られています。この粒子は、大気中を漂う間にオゾンなどと反応して徐々に変質していきます。環境計測研究センター(反応化学計測研究室)主任研究員の江波進一さんは、独自に開発した新しい実験方法で、このプロセスのメカニズムを解明しています。

研究者の写真:江波 進一
江波 進一(えなみ しんいち)
環境計測研究センター 主任研究員

エアロゾルの実態を知りたい

Q:エアロゾルとは何でしょうか。

江波:大気中に浮遊している微小な粒子すべてを指し、液体のもの、固体のもの、その中間のゲル状のものもあります。最近注目を集めているPM2.5は、直径2.5μm以下のエアロゾル粒子のことです。大気中に粒子そのものとして放出されたものもあれば、放出された気体状の物質が大気中で反応し、凝縮して粒子になったものもあります。前者を一次排出エアロゾル、後者を二次生成エアロゾルと呼んでいます。

Q:その起源は何でしょうか。

江波:排ガスなどの人為起源のものと、土壌や海洋、森林などから発生する自然起源のものがあります。放出されたエアロゾルは、空気中を漂い、風があれば輸送されますが、その間にもどんどん変化します。私たちは、エアロゾルの中でも植物起源のエアロゾルについて研究しています。

Q:植物由来のエアロゾルもあるんですか。

江波:はい。植物はさまざまな揮発性有機化合物(Volatile organic compound:VOC)を放出しているんです。特に植物起源のものをBVOC(Biogenic VOC)と呼んでいます。これが大気中で反応し、変化してエアロゾルを生成します。植物起源のものはまだあまり研究が進んでいません。でも、大気中に放出されるBVOCの量は非常に多いので、実際には二次生成エアロゾルの半分以上はBVOC起源のものが占めていると考えられています。

Q:調べるのは難しいのですか。

江波:黄砂、海塩粒子、ススなどの一次排出エアロゾルは、最初から粒子なので挙動が調べやすいといえるかもしれません。しかし、植物起源のエアロゾルは気体のBVOCが反応してできる二次生成エアロゾルです。生成のメカニズムがよくわかっておらず、性質が常に変化しているので、大気中にどれくらいあるのかを正確に見積もるのは難しいです。

Q:植物由来のエアロゾルは有害ですか。

江波:有害かどうかはまだよくわかっていません。でも、地球の気候や気象に影響を与えていることは確かです。人体に有害かどうかを知るためには、エアロゾルの成分の変化を知る必要があります。そこで、気候変動と大気汚染の二つの観点からエアロゾルの反応機構について調べています。エアロゾル粒子の表面、特に液体と気体が接する境界である気液界面において、どのような反応が起こっているのかを調べています。

Q:なぜ界面の反応を調べることにしたのですか。

江波:液体、気体のみの均一な相と違って、気体と液体の界面の不均一相の反応を調べる方法は少なく、そこで起こる物理過程や化学反応機構の理解は不十分です。また界面でしか起こらない現象もあります(コラム1参照)。エアロゾルの実態をつかむには、界面を含めたすべての相を調べる必要がありますし、あまり研究が進んでいないので、やりがいがあると思ったのです。

空気-エアロゾルの界面で起こる反応

Q:なるほど。どのように研究を進めたのですか。

エアロゾル発生のための ネプライザー(霧吹き)と反応チャンバーの写真
写真2 エアロゾル発生のための
ネプライザー(霧吹き)と反応チャンバー

江波:まず、反応を調べるための方法を検討しました。これまでの実験方法では、液体と気体の界面で起こる反応を直接調べることは困難でした。そこで、チャンバー内でサンプルの水溶液をネブライザー(霧吹き)で霧状にし(写真2)、そこにオゾンなどの反応ガスを吹き付け、気液界面で反応してできる物質を瞬時に検出する方法を開発しました。ヒドロキシルラジカル(OHラジカル)という非常に酸化力の高い化合物を作るときには、レーザーも用います(表紙写真)。この方法では、10マイクロ秒以下という非常に短いタイムスケールで気体と液体の界面で起こる反応を調べることができます。

Q:この方法なら、直接空気-エアロゾル界面の反応を調べることができるのですね。

江波:そうなんです。界面に存在している成分だけを、できるだけそのままの状態で検出できる点に特徴があります。

Q:どんなエアロゾルの反応を調べたのですか。

江波:エアロゾルの変化は生成、成長、老化と、人間の一生に例えることができます。私がいま注目しているのは成長と老化です。生成したエアロゾルは大気中のオゾンやOHラジカルによって酸化されます。その酸化される過程をエイジング(コラム2参照)といいます。オゾンもOHラジカルも活性酸素の一種で、強い酸化力があります。面白いことに、私たち人間も体内でOHラジカルなどによるエイジングによって、「老化」します。そこで、エアロゾルも人間も、エイジングによって、常に変化しているといえます。エアロゾルでは、エイジングは性質が変化する重要な過程です。そこで、独自に開発した方法で、そのメカニズムを調べました。

Q:どんなことがわかりましたか。

江波:OHラジカルによるエイジングでは、エアロゾルの界面にある分子が分解し、より小さい分子になることで揮発しやすくなる傾向がありました。一方、オゾンによるエイジングでは、界面に存在する分子が反応によって大きくなるケースがありました。例えば、炭素数15のテルペンと炭素数10の有機酸を含むエアロゾルに気体のオゾンを吹き付けると、気液界面に炭素数25(=15+10)の過酸化物ができます。過酸化物とは分子のなかに-O-O-結合をもつ酸化物のことを指し、炭素数が25の大きい分子は、ほとんど揮発しません。その結果、エアロゾルは安定化します。エアロゾルのエイジングの研究によって、「老化」だけでなく、「成長」も捉えることができ、大気中で起こっているエアロゾルの変質プロセスの一部がわかりました。

Q:テルペンとは何ですか。

江波:イソプレン(C5H8)を構成単位に持つ炭化水素の総称で、代表的なBVOCです。おもに植物の体内で生合成され、アロマオイルに含まれるよい香りの成分でもあります。植物由来のテルペンは、放出量が非常に多く、反応性も高いため、大気中でエアロゾルを生成することが知られていました。しかし、テルペンを含むエアロゾルの界面で起こる反応メカニズムはほとんどわかっていませんでした。そこで、最近はテルペンに関するエアロゾルのエイジングのメカニズムを重点的に調べています。

Q:実験室はいい香りなんですか。

江波:ええ。実験装置のまわりはいい香りがしています。アルコール基が付いているテルペンは花の香り、ないものは基本的に木の香り、構造によっては、リモネン(柑橘系のにおい成分)のような果物の香りがします。この研究のおかげで、花や木の香りの主成分がだいぶわかるようになりました。この花、かなりネロリドール(甘いハーブ調のにおい成分)が出ている、とか(笑)。

塩化ナトリウムがカギに

Q:どのようにエアロゾルのエイジングの過程を調べたのですか。

江波:エアロゾルの生成には、クリーギー中間体(コラム3参照)が関与していると考えられてきたものの、その反応機構はよくわかっていませんでした。そこで、空気-エアロゾルの界面で起こるクリーギー中間体が関与する反応を調べることにしました。

Q:クリーギー中間体とは何ですか。

江波:炭素-炭素の二重結合(C=C)とオゾンが反応するとできる中間体です。テルペンの多くがこの2重結合をもつ不飽和炭化水素です。クリーギー中間体の存在は古くから知られていましたが、反応性が高く、すぐに他の分子と反応してしまうので、実態が捉えられなかったのです。

Q:どう反応するのでしょうか。

江波:まず考えられるのは、大気中に豊富にある水と反応してα-ヒドロキシヒドロペルオキシドという過酸化物の一種(以下α-HH、コラム4参照)になることです。ただ、過酸化物は反応性が高く、そのままの状態で検出するのは非常に難しいという問題がありました。ところが、偶然の出来事で過酸化物が検出できるようになったのです。

Q:偶然の出来事とは何ですか。

実験データの解析の写真
実験データの解析

江波:2016年12月当時、α-フムレンというテルペンを含むエアロゾルのオゾンによるエイジングを調べていました。α-フムレンはビールのホップの香り成分です。その時、生成物の分析結果によくわからない信号が出ていました。研究室の会合で話したところ、その信号は塩素が入った化合物ではないかと指摘されました。ただ、その実験には塩素を含む化合物は何も用いていませんでした。その直後、私の頭に浮かんだのは実験の直前まで大学院生が、塩化ナトリウムを用いる実験をしていたことです。ひょっとしてチャンバー内を洗浄し忘れたのではないかと思ったのです。 そこで、α-フムレンの溶液に塩化ナトリウムを加えて実験してみると、先の実験で得たよくわからない信号はα-HHに塩化物イオン(Cl-)が付いた化合物の信号でした。その後、塩化ナトリウム由来のCl-が過酸化物に付加しやすい性質があることがわかりました。実験の際に、化学的に安定な塩化ナトリウムを溶液に加えておくだけで、測定できなかった様々な過酸化物が検出できるようになりました。これは、セレンディピティ(偶然によってもたらされた幸運)です。

Q:クリーギー中間体の反応を直接捉えることができたのですか。

江波:そうなんです。これがブレークスルーとなって一気に研究が進みました。クリーギー中間体そのものは検出できませんが、クリーギー中間体が反応してできる様々な過酸化物を検出できます。その結果、クリーギー中間体は、水だけでなく有機酸やアルコールなどの有機物とも反応して過酸化物になることがわかりました(コラム3参照)。驚いたことに、非常に安定な化合物だと考えられていた糖類とも反応します。これらの反応はセレンディピティがなかったらわからなかったでしょうね。また、BVOC起源のエアロゾルの気液界面に多く存在するピノン酸などの有機酸は、クリーギー中間体と優先的に反応し、揮発性の極めて低い過酸化物をつくることが明らかになりました(コラム4参照)。

有害性の真犯人がみつかるか

Q:クリーギー中間体はいろいろなものと反応するのですね。

江波:はい。これまで、空気-エアロゾルの界面では、クリーギー中間体はほぼすべて水分子と反応すると考えられていました。これは大気中には水分子が非常に多く存在しているからです。しかし、実際はテルペン由来のクリーギー中間体の一部は空気-エアロゾル界面にある有機酸とも反応していました。そして、この反応がエアロゾルの成長を促していると考えています。

Q:大気中のエアロゾル成長のカギとなる反応だったのですね。

江波:ええ。実際の森林大気中にあるエアロゾルの成分を分析した研究では、私たちが見つけたものと同様の過酸化物が見つかっています。空気-エアロゾル界面で起こるクリーギー中間体の反応がわかることで、これまでのモデルや観測による研究で解明しきれなかった隙間の部分を埋めることができると思っています。今では、塩化ナトリウムのおかげで、界面だけではなく、液中での反応を調べることができるようになりました。

Q:その方法で何か新しいことがわかりましたか。

江波:はい。テルペン由来のクリーギー中間体が水と反応してできるα-HHが、エアロゾル中でどのように変化するのかがわかるようになりました。α-HHは、液中ではラジカルに分解すると考えられてきました。ところが、今回調べた複数のテルペン由来のα-HHは数分から数時間以内に水と反応して、過酸化水素(H2O2)とアルデヒドになりました(図7)。 例えば、α-ピネン由来のα-HHは、体積比で50%の水を含む溶液中で20分以内に反応しました。実際の大気中でも水分を十分含むエアロゾル中では、α-HHはすぐに水と反応して過酸化水素とアルデヒドになると予想されます。α-HHはラジカルを発生するためにエアロゾルの有害性の犯人と考えられてきましたが、過酸化水素が真犯人なのかもしれません。

Q:森林でできるエアロゾルは私たちにどのような影響を与えていますか。

江波:エアロゾルはすべてが有害なわけではありません。私たちの祖先はずっと森林で暮らしてきて、植物由来のエアロゾルに曝されていたはずです。そのため、体内になんらかの防御機構ができていても不思議ではありません。実際に、私たちの肺胞は上皮被覆液で守られており、そこにはアスコルビン酸(ビタミンC)、尿酸、グルタチオン、α-トコフェロール(ビタミンE)などの抗酸化物質が含まれています。いわゆる「アンチエイジング」物質ですね。進化の過程で、自然界にあるオゾンなどの有害なガスを体内に取り込まないように、これらの抗酸化物質が上皮被覆液に存在するようになったと考えられています。有害なガスだけではなく、ひょっとしたら過酸化水素が蓄積した植物起源のエアロゾルにも対抗するためかもしれません。

自分にしかできない方法で

Q:今後はどのように研究を進めたいですか。

江波:いま注目していることの一つはエアロゾルのヒトへの影響です。エアロゾルを吸い込むと空気-肺胞の界面にOHラジカルが発生するといわれているので、それが本当なのかを調べたいです。今回、α-HHは水と反応して過酸化水素になることがわかったので、次は空気-肺胞界面での過酸化水素のはたらきを調べることが重要です。過酸化水素は金属イオンとの反応でOHラジカルを生成するとされていますが、この反応機構はまだ完全にはわかっていません。エアロゾル中には金属イオンが含まれることも多いので、過酸化水素、金属イオン、抗酸化物質の相互作用を分子レベルで調べていきたいです。

Q:今後の展望について教えてください。

江波:エアロゾルの研究には、フィールド観測による研究、モデルシミュレーションによる研究、そして私のような室内実験による研究の大きく3つに分類されますが、日本では室内実験による研究が比較的少ないのです。観測やモデルによる研究だけでは、どうしても解釈できないことがあるので、室内実験でその部分を埋めたいと思っています。国立環境研究所はエアロゾルの基礎研究ができる設備が充実しているので、当研究所の国内外に果たす役割は大きいと思います。これからも自分にしかできない方法で勝負したいです。

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