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2019年4月25日

海底鉱物資源開発における環境影響評価
SIPによる取り組み

Summary

 海底鉱物資源の開発に伴う環境影響評価は始まったばかりです。私たちは、鉱物資源が豊富な海域の表層生態系の把握、海底鉱物からの金属溶出特性や表層生態系への影響評価などを経て、洋上バイオアッセイという開発現場周辺の水質監視に利用できる技術の開発を行ってきました。また、深海への影響評価技術として、JAMSTECとの共同研究により、深海懸濁粒子の輸送動態や深海生態系への影響予測のモデル開発を行いました。

海底鉱物資源開発海域の微生物多様性と海底鉱物由来の溶出成分が光合成生物に及ぼす影響

光学顕微鏡でみた写真
図8 海底鉱物資源開発海域の植物プランクトン光学顕微鏡像
海底鉱物資源開発海域である沖縄トラフ海域には、様々な種類、サイズの外洋性植物プランクトンが生息しています。

 日本の海底鉱物資源の有望海域は、沖縄近海や小笠原諸島近海など、多くが外洋の貧栄養海域で、生態や多様性の実態のよく分かっていないピコ~ナノサイズの植物プランクトンが優占しています。重金属類が基礎生産や生物多様性に及ぼす影響を評価するためには、こうした海域の植物プランクトン群集組成を事前に把握しておく必要があります。顕微鏡観察(図8)やフローサイトメトリという装置で、船上で植物プランクトンの主要な構成要素を調査するとともに、環境DNAの解析による詳細な多様性解析を行いました。当該海域のバイオマスの大部分は、プロクロロコッカス、シネココッカスそしてピコ~ナノサイズの真核性植物プランクトンで構成されていることなどが分かりました。

 沖縄トラフ海域の海底熱水域で採取した鉱石を用いて、重金属類の溶出試験を行い、その溶出液が表層植物プランクトンに及ぼす影響について船上実験を行いました。表層海水に微量の鉱石溶出液を添加すると、植物プランクトンの現存量の指標となるクロロフィルa濃度や、光合成活性の指標となるクロロフィルの蛍光量子収率が、徐々に低下する現象が観察されました。さらに、クロロフィルa濃度が大幅に低下した後に、蛍光量子収率が回復する現象も記録されました。蛍光量子収率の回復は、溶出液の添加によって植物プランクトンの多くが死滅していく一方、溶出液に対して耐性のある植物プランクトンも僅かに存在し、それらの植物プランクトンが増殖するためと考えられました。海底鉱石の溶出成分が表層環境中に漏洩すると、植物プランクトン全体の基礎生産が低下するほか、植物プランクトンの種の構成にも影響を及ぼすかもしれません。

洋上バイオアッセイ法の開発

計測機器と探索船「ちきゅう」の写真
図9 ルミノメーターと地球深部探査船「ちきゅう」
遅延発光強度は、ルミノメーター(浜松ホトニクス製)というコンパクトな測定装置で計測できます(上)。海洋研究開発機構の地球深部探査船「ちきゅう」(下)に持ち込んで、洋上バイオアッセイを行いました。

 生態毒性試験法は、未知の物質の影響や化学物質や汚染排水が生物に与える影響を評価するための有用な手法と言えます。藻類を用いてバイオアッセイを行う場合、通常の生長阻害試験では、72時間以上の試験期間が必要です。また温度や光量の制御可能な振盪培養庫が必要です。そこで、海洋資源開発プラントや採鉱船でも試験が可能な、よりコンパクトで簡便な試験法の開発に取り組むことになりました。私たちが着目したのは、光合成活性の指標である遅延発光強度です。遅延発光強度は、コンパクトな測定装置(図9上)で計測可能で、数時間から24時間程度で、生態毒性を評価できます。私たちが開発した試験株について、通常の生長阻害試験と遅延発光阻害試験の阻害影響を比較した結果、2つの試験で得られた用量反応曲線が類似することなどが明らかになりました。そこで「ちきゅう」という船(図9下)で、その有効性を検証した結果、熱水鉱床で掘削されたばかりのフレッシュなコアからの溶出液に含まれる亜鉛や銅などの重金属の毒性をppbのオーダーで確認できました。模擬金属混液とこのコア溶出液の用量反応曲線が一致することから、この溶出液の毒性は、重金属に由来すると考えられます。これまでに国内の民間調査会社と洋上バイオアッセイプロトコルの検証実験を行ったり、開発現場の水質監視手法としての有効性を国際海底機構(ISA)で紹介したりしました。また国際標準化に向けた取り組みとして、ユネスコ・国際海洋委員会レポジトリへのプロトコル掲載に加えて、現在、ISO(ISO/NP23734)への登録に向けた準備を進めています。

深海における懸濁粒子の動態モデル構築に向けた試み

 海底資源開発では、海底の掘削時や揚鉱水の排水時に懸濁粒子が大量発生し、開発区および周辺海域に拡散・再堆積するため、海底に生息する生物・生態系への影響が懸念されています。しかし深海は、暗黒で、高水圧環境であるため、影響を直接確認することは困難です。そのような未知の領域で、開発による影響を事前に予測して、影響を可能な限り緩和する対策を講じることが、国際的に重要な課題となっています。

 環境影響評価・予測の有力な手法としてはコンピュータによる数値シミュレーションが真っ先に挙げられます。私たちは、懸濁粒子の拡散や堆積を左右する深海底近傍の乱流現象に着目して、これまでに確立した最先端の計算手法(Large Eddy Simulation)で乱流の動態をシミュレートしました。沖縄卜ラフの深海を想定したシミュレーション実験では、乱流の消長は主に潮汐によって生じ、乱流の発達は海底から40-60m程度の高さまでで、懸濁粒子の輸送・拡散はその高さの範囲内で生じることなどが明らかになりました(図5)。

 シミュレーションによる評価・予測結果がどれだけ信頼できるかを判断するためには、現場の観測データが必要となります。私たちはJAMSTECと共同で、最新の深海用計測機器を用いて、深海底近傍の乱流に関する現場観測データの取得・蓄積にも努めました。久米島沖の熱水活動域周辺の観測では、深海で0.1℃程度の周期的な水温変動が生じることで乱流が間欠的に発生するといった、上記の数値シミュレーションとは異なる現象を捉えることに成功しました。相模湾の調査では、深海乱流が高さ150mまで発達するなど、既存のシミュレーションモデルでは再現困難な現象も観測されています。このように深海底近傍の乱流メカニズムやその予測にはいまだに多くの課題が残されています。さらなる現場観測データの収集と、観測に基づくモデリング研究を進めることが環境影響評価手法の確立につながると考えています。

動態モデルと数値シミュレーションのグラフ
図5 懸濁粒子の動態モデルと数値シミュレーション
沖縄トラフを想定したLarge Eddy Simulation実験で得られた海底混合層の厚さ(上)と懸濁粒子の拡散(下)

熱水化学合成生物群集を対象とする生態系ネットワークモデル

 深海の熱水活動域は鉱物資源の供給源として期待される一方、熱水化学合成生物群集の生息域でもあります。このような生物群集は、高密度で生息する代表的な種だけではなく、稀にしか発見されない種も含んでいて、今後も詳しい調査研究が必要とされています。このため、ISAは、資源開発における海底の生態系への影響軽減の配慮を指針として公表しています。このための手法の1つとして、撹乱を受けた後の生態系の回復速度の事前予測を行い、状況に応じて開発計画を調整することが考えられます。コンピュータシミュレーションによる予測は、その目的を実現するための有効な手段の一つですが、これまで深海底の熱水生物群集の回復速度の予測をしたシミュレーション研究の事例はなく、適切なモデルも示されていません。そこで、西太平洋に分布する熱水活動域(全131地点)の生物量の増減を計算するモデルを構築して、それぞれの生態系の回復速度の予測を試みました。その結果、攪乱からの回復速度には地域性があり、回復時間にも大きな差があることが予測できました(図6)。私たちが開発したモデルを活用することで、保全施策の立案や開発を行う場所の選定に不可欠な情報を提供できると考えています。一方で、今回の研究で用いたモデルは自然界で起きている現象の一部を切り取った単純なモデルです。熱水化学合成生態系を構成する種や生息場所についての情報や、長期間の海底観察などから得られたデータをモデルに反映することで、より高精度かつ具体的な予測が可能になると考えています。

回復時間予測グラフ
図6 西太平洋に分布する熱水活動域の生態系の回復時間予測(一部を抜粋して表示)
熱水活動域の生態系の回復時間を予測するために、海流による幼生の移動分散を考慮した生態系ネットワークモデル(メタ個体群モデル)を開発しました。このモデルにより熱水活動域の生物群集への撹乱、それに続く幼生加入による回復プロセスをシミュレートすることで回復時間が予測できます。図はこの方法により予測した、西太平洋の6海域に含まれる熱水活動域の回復時間を表しています(点は中央値、線は95%信頼区間)。特に日本近海では、沖縄周辺に位置する熱水域に比べ、伊豆・小笠原周辺の熱水活動域の回復が遅い可能性が示唆されています。