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2012年7月31日

研究者に聞く!!

Interview

中村泰男(左)と金谷弦(右)の写真
中村泰男(写真左)
地域環境研究センター 海洋環境研究室室長

金谷弦(写真右)
同研究室研究員

 干潟は、多くの底生生物が暮らしており、干潟に供給されるプランクトンや有機物などさまざまな物質を「処理」しています。そのため、水質浄化の場として、また魚や鳥の餌場として重要だといわれています。しかし、この数十年の間に埋め立てや開発が進み、日本各地の多くの干潟が失われました。干潟の生態系の研究に取り組む海洋環境研究室室長の中村泰男さんと同研究員の金谷弦さんにお話をうかがいました。

干潟の生き物のはたらきを探る

残された干潟を保全する

  • Q: 研究のねらいは何ですか。
    金谷: 富栄養な内湾域に発達する干潟をフィールドにして、二枚貝や巻貝、ゴカイ類など底生生物(ベントス)を中心に干潟の物質循環について研究しています。特に、有機物や栄養塩がどのような経路で、ベントスや微細藻類に利用されているのかに注目しています。また、干潟のどこにどのようなベントスが生息しているか、ベントスがどの時期にどれくらいいるかについて、生息環境の変動との関連を調べています。

    中村: 金谷さんは、干潟の生態系の全体像を把握しようとしています。一方、私は、日本の干潟を特徴づける個々の生物種の保全も重要だと考えています。例えば、ハマグリは日本の砂っぽい干潟の代表的な生物で、かつてはたくさんいましたが、今は激減しています。さらに、大陸から大量に輸入されている別種のハマグリが日本の干潟に侵入する可能性もあります。ハマグリの生態については不明な点が多いのですが、それを明らかにすることで、日本古来のハマグリを干潟によみがえらせたいと考えています。
  • Q: 干潟研究を始めたきっかけは。
    金谷: 大学の卒論で干潟の研究をしたのがきっかけです。いろいろな生き物が、他の生き物や環境と関わりあって、干潟というシステムができあがっていく。そんな干潟の生態系がおもしろくて、15年以上も研究を続けています。

    中村: 私は大学院で無機化学を専攻したのですが、1979年に国立公害研究所(国立環境研究所の前身)に入所してから海の生き物の研究に携わるようになりました。赤潮の研究から始まり、海洋生物と環境の関わりをずっと研究しています。干潟に深く関わったのは、6年前にハマグリの研究を始めてからです。

干潟特有の生物たち

  • Q: 干潟の調査はどうやって行うのですか。
    中村: 私は有明海の干潟に行くことが多いのですが、そこではひたすら砂を掘って、ハマグリの採集をします。生態を調べるためにはたくさんの数が必要なので、数時間掘り続けることもあります。

    金谷: 主なフィールドは東京湾や仙台湾、伊勢湾の干潟やヨシ原です。私の場合、定量採集といって、ある一定面積に生息する生物を全て採取することが多いです。干潟の中の調査地点を何か所も回って、コアサンプラーやコドラート(一定面積の底泥を採取するためのパイプ状の採泥器・四角形の枠)を水の底においてそこにいる生物を集めたりします。調査は1年中行い、季節による変化を調べます。調査は潮が引いている時間帯に行いますが、春から夏は昼間に、秋から冬は夜中に潮が引きます。夏はとても暑いし、冬は寒いし、そこはつらいところです。
  • Q: 季節によって潮の引く時間がずいぶん違うのですね。干潟はどんな環境なのでしょうか。
    金谷: 干潟は場所によってだいぶ違います。大きな干潟があれば小さな干潟もある。タイや韓国には、沖合数キロまで続く広大な干潟もあるんですよ。

    中村: 砂の干潟もあれば泥の干潟もあります。

    金谷: 河口に近い干潟は、淡水と海水が混じりあうため(汽水域)、塩分条件も干潟によって大きく違います。

    中村: 干潟によって環境もさまざまなので、生き物の種類もだいぶ違います。

    金谷: そこが干潟のおもしろいところですけれど、出現する生物の種数他の生息場所、例えば沿岸域の砂泥底や岩礁域と比較してそんなに多い訳ではありません。干潟は環境変動が激しいので、多くの海の生き物にとっては非常にシビアな生息環境です。しかし、シビアであるが故に、ストレスに耐えうる種が非常に高密度で生息することがあります。
干潟の食物連鎖
図1 干潟での「食ったり─食われたり」
干潟に流れ込んだ栄養塩や有機物は、微細藻類やバクテリアに利用され、底生生物に食べられます。底生生物は、さらに別の生物に食べられます。
  • Q: 干潟にはどんな生物がいるのでしょうか。
    金谷: 干潟によって異なりますが、多毛類や二枚貝、カニの仲間やヨコエビ類、アナジャコなどが多いです。多毛類とはゴカイの仲間のことで、なかなか目に付きにくいのですが、たくさんいます。水中や泥の表面には、珪藻などの小さな藻類がいますし、干潟の後背湿地にはヨシやシオクグなどの塩性植物も生えています。ベントスは微細藻類を食べ、さらにベントスを餌とする魚や鳥が集まってきて、多様な「食ったり─食われたり」の関係が成り立っています(図1)。
     干潟は、川から流れてきた有機物や生活排水が流入しますので、栄養がたっぷりある場だとも言えます。ベントスは、環境中の有機物を食べて除去してくれるので、環境の浄化にも役立っています。私は、震災前から仙台市の蒲生潟で継続的に調査をしていましたが、干潟には非常に多くのベントスが生息していました。特にイソシジミが多くて、1平方メートルあたり2千個以上が生息している場所もありました。手で砂を掘ると、ザクザク出てきます。

    中村: イソシジミって、美味しくないんだよね。

    金谷: いや、あの、どちらかと言えば僕は好きですが…。まあそれはさておき、2011年3月の津波により、ヨシ原が8割ほど流失しました。干潟の砂も流され、アサリなどの二枚貝はほとんどいなくなりました。8月の調査時には、ゴカイの仲間やヨコエビ類が大発生していました。これらの種はライフサイクルが短く、多くが1年中繁殖します。彼らは他の生き物のいない干潟に住み着き、資源を独占して急速に増えたと考えられます。また、秋になると他の種でも徐々に回復してきたものがいました。かかる時間は種によって異なりますが、生息環境が元に戻れば生物相も回復すると予想しています(図2)。
貝類
図2 津波による干潟への影響
宮城県仙台市の蒲生干潟では、津波により多くの底生生物が著しく減少しました。しかし、底生生物の中には、数か月間で生息密度を回復した種もいました。
  • Q: 干潟が減っているそうですが、生物の様子はどうですか。
    金谷: ここ100年ほどの間に、埋め立てや護岸工事などでかなりの干潟が失われました。私が現在研究している東京湾の大井人工干潟は、人間が作った干潟ですが、出現するベントスの種数は近くの天然干潟とさほど変わらないようです。干潟の生き物は非常にたくましいので、住む場所をつくれば、ある程度は戻ってくるのです。しかし、大井干潟のヨシ原には、カワザンショウガイ類やアシハラガニが全く出現しません。ベントスの生息環境を人間の手で完全に復元することは、やはり難しいのだと思います。ホンビノスガイやコウロエンカワヒバリガイといった外来種が多いのも、東京湾奥部の干潟の特徴ですね。
干潟の生き物の写真

ゴカイは縁の下の力持ち

  • Q:金谷さんはとくにゴカイ(多毛類)の研究に力をいれているそうですね。
    金谷: 多毛類は、干潟生態系の中で非常に重要な役割をしています。個体数も多いですし、種によって分布域や繁殖時期が異なり、水を濾過して食べるものもいれば、泥ごと食べるものもいますし、他の種を襲って食べるものもいます。
  • Q:何を食べているのかはどうしてわかるのですか。
    金谷: 有機物には、炭素や窒素の安定同位体という「重い」原子がごく微量に含まれていて、その存在比が有機物の種類によって異なります。動物の体を作る有機物は、過去の一定期間中に食べた餌の安定同位体比を反映しますので、動物と餌候補の値を比較することで、彼らがどんな有機物を食べてきたのかを、大まかに推定することが出来ます(図3)。
窒素の移動
図3 安定同位体比から干潟の物質循環を探る
自然界には、通常の炭素・窒素原子(12Cと14N)の他に、中性子1個分だけ重い安定同位体原子(12Cと14N)がごく微量に存在します。これらの存在比を「安定同位体比」と呼びます。動物の体組織中の炭素と窒素の安定同位体比(δ13C・δ15Nと表記)は、餌と比べて一定の割合で上昇することが知られています。そのため、動物と有機物のδ13C・δ15Nを比べることで、彼らが食べている餌を推定出来ます。
  • Q:ゴカイがたくさんいることで、干潟の土の中でどのようなことが起こるのでしょうか。
    金谷: 干潟にいくと、カワゴカイの仲間の巣穴が無数にあります。彼らは巣穴を掘ることで干潟の表面積を増やし、泥の中まで酸素を供給します。また、巣穴の表面では微生物の活性が周囲と比較して高くなります。タマシキゴカイの仲間は活発に砂を食べ、干潟表面にモンブランケーキのような糞を出します。ミミズが畑を耕すように、ベントスも日々干潟の泥を耕しています。彼らは有機物を食べ、巣穴を作り、底土をかき混ぜることで、底土と水の間での物質の流れ(物質循環)に様々な影響を及ぼしています。このような作用は、生物攪乱と呼ばれます。

激減したハマグリ

  • Q:ハマグリが減っているとおっしゃいましたが、スーパーなどでは結構見かけます。本当にハマグリは減っているのですか。
    中村: まず知っていただきたいのは、「ハマグリ」という名で市場に流通している貝には3種類あるということです。1つは有明海、伊勢湾、東京湾といった内海の干潟にいる本来のハマグリMeretrix lusoria。2つ目が中国大陸や朝鮮半島にいるシナハマグリMeretrix petechialis。3つ目が九十九里浜のような外海の浅場にいるチョウセンハマグリMeretrix lamarckiiです(図4)。
     これらは別種なのですが、形がよく似ていて、いずれも「ハマグリ」という名で取引されています。スーパーでよく見かけるのは中国産のシナハマグリです。また、資源が減っているのはMeretrix lusoria、つまり本来のハマグリで、私はこの種を研究しています。
     ハマグリはかつて資源が豊富でした。貝塚からも、ハマグリの貝殻がたくさん出土していて、縄文時代の人々もたくさんのハマグリを食べていたことがわかります。ところが、昭和30年以降、干潟が埋め立てられ、海の環境が悪化するのと並行して、内湾域のハマグリが激減しました。「アサリが減っている」とよく報道されますが、ハマグリの減少はアサリ以上に厳しかったのです。

    金谷: 江戸時代の東京湾には広大な干潟がありましたが、ほとんどがなくなってしまいました。
    中村: ハマグリの産地としては、「その手は桑名の焼き蛤」で伊勢湾が有名ですが、東京湾も一大産地だったんですよ。
ハマグリ
図4 3種類のハマグリ。いずれも分子同定済みの個体。
3種のハマグリは形が似ています。形態による分類はプロでも間違えることがあるようです。有明海のハマグリを材料にして研究を始めるにあたり、分類の素人でも間違えることの少ないDNAの塩基配列を調べ(分子同定)、現場の「ハマグリ」は本来のハマグリ(Meretrix lusoria)であることを確かめました。「有明海の“ハマグリ”はシナハマグリに置き換わっている」と主張する研究者もいたからです。
上から1段目、2段目はハマグリ(Meretrix lusoria)。1段目は瀬戸内海の杵築湾産、2段目は有明海の白川干潟産。3段目はシナハマグリ(Meretrix petechialis)、中国産。四段目がチョウセンハマグリ(Meretrix lamarchii)、房総半島九十九里産。
  • Q:ハマグリを復活させるためにどんな実験を行ったのですか。
    中村: ハマグリが日本の干潟で減少した原因を探り、復活につなげるためには、ハマグリがアサリなど他の二枚貝とどのくらい性質が異なっているのかを知ることが近道だと思いました。
     まず、実験室でハマグリが海水をこし取る速さを調べ、アサリやシオフキなどの二枚貝と比較しました。ハマグリなどの二枚貝は海水を体内に取り込み、えらで海水中のプランクトンなどの粒子をこし取って餌として利用しています。ですから、海水をこし取る速さ(濾水速度)は、貝が餌をとる速さとも関係していて、貝の性質を示す重要な項目です。ハマグリの濾水速度は、東京湾や有明海にたくさんいるアサリやシオフキなどと大差なく(図5a)、餌を取る速さでは、ハマグリは他の貝に負けない能力があることがわかりました。
性質
図5 ハマグリの性質
(a)濾水速度は他の有明海の二枚貝と同じくらい早い。
  • Q:残念ながら他の貝との違いははっきりしなかったのですね。それで、次に何を行ったのですか。
    中村: 当時、干潟研究者の間では、東京湾などでハマグリが激減したのは海の環境が悪化したためで、環境悪化に比較的強いアサリやシオフキはそこそこ生き残ったという雰囲気がありました。
     そこで、この点を確かめるための実験を東京湾の大井人工干潟で行いました。これはハマグリ、アサリ、シオフキ、それに最近東京湾で増加している外来種のホンビノスの4種の貝をかごの中にいれて干潟で飼育し、それぞれの貝の生残率や成長を調べるというものです。そして、a.ハマグリはどれくらい他の貝に比べて弱いのか? b.どのような環境でハマグリが死滅するのか? を知ることで、ハマグリを復活させるための環境条件を明らかにしようと考えました。
写真2点 現場での、生き物と生息環境のモニタリング(左) 大きくなったかな?カゴを用いた二枚貝の現場飼育実験(右)

ハマグリは意外にも強かった

  • 金谷: 大井干潟は、羽田行きのモノレール沿いの京浜運河にあるのですが、6月から11月まで、1~2メートルより深いところでは海水中の酸素が欠乏します。また、水深3メートル程度の水底では猛毒の硫化水素が発生するため、大型底生生物がほとんどがいません。干潟は水処理施設に近いので、大雨が降ると下水道から処理する前の水が流れ込んできて、生臭くなりますし、東京湾の中でも環境はかなり悪いですね。
  • Q:この実験はどれくらいの期間行いましたか。
    中村: 5年間、繰り返して実験を行いました。そしてとても意外なことに、アサリやシオフキが死滅するような状態でも、ハマグリは元気で、ホンビノスと同じくらいの割合で生き残りました。しかも、成長も早かったのです(図5b、c)。
貝類の性質
図5 ハマグリの性質
(b)ハマグリは強い。アサリやシオフキが死んでも生き残る(大井干潟での実験)。
(c)ハマグリの成長は速い。1年4か月で殻の大きさが4センチ増加する(大井干潟での実験)。
  • Q:ハマグリはそんなに頑丈なのに、なんで減ってしまったのでしょうか。
    中村: それがわかれば苦労はしません。ただ、ハマグリの減少に産卵時期が関連しているかもしれないと考え、有明海の天然個体と大井干潟のカゴ飼育個体で産卵時期を調べました。
  • Q:産卵時期はわかっていなかったのですか。
    中村: 大ざっぱな観察では、東京より西では大体夏ごろ産卵するといわれていたのですが、正確にはわかっていなかったのです。そこで、手間ひまがかかるのですけれど、ハマグリの染色した生殖線を顕微鏡で観察し、いつ頃生殖腺が成熟し、産卵や放精が起きるのかを調べました。そして、有明海、東京湾いずれの個体でも夏から初秋にかけて産卵することを確かめました。
     ちょうどこの時期は酸素の少ない水(貧酸素水)が干潟に押し寄せるころなので、産卵が阻害される可能性があります。さらに、孵化したあとの貝の幼生が海水中を漂っているときに、貧酸素水に出くわして死ぬかもしれません。つまり、貝の産卵時期や幼生として過ごす時期が、貧酸素水との遭遇という環境の悪い時期に当たっているために、ハマグリが子孫を残しにくくなって、資源が減ったのではないかと考えています。
     一方、アサリやシオフキでは春と秋に産卵するため、産卵時や幼生時に貧酸素水に出会う確率が少ないです。さらに、春に子孫を残せなくても、秋に再びその機会があるため、ハマグリに比べ子孫を残しやすいことが、現在でも東京湾である程度繁栄している原因かもしれません。ただ、今話したことは、あくまで仮説で、今後ちゃんと検討しなければなりません。

ハマグリの水平移動

  • Q:他にどんな実験を行っていますか。
    中村: ハマグリのネバに関する実験を行っています。
  • Q:ネバって何ですか。
    中村: ハマグリは何かの拍子に水管の近くから紐状の粘液物質を分泌します。これをネバと呼んでいます(図6)。貝の大小を問わずネバの発射はおきるのですが、4センチくらいのハマグリで、ネバの長さは、数メートルに達するといわれています。彼らはネバを水中に漂わせ、これを帆にして海水の流れを受け止めながら、干潟を移動します。ネバの存在は古くから知られていて「蜃気楼」の語源ともなっています(コラム参照)。
     また、ハマグリがどの季節にネバを発射して移動するのかという先駆的な研究が内田恵太郎先生によって60年以上前に行われたのですが、それ以来、ネバに興味を抱く研究者はいても、研究としてはほとんど行なわれてきませんでした。
ネバ
図6 ハマグリのネバ発射実験
(a)ネバを発射する瞬間。
(b)ネバはネバーっとしている(蜃気楼をつかむ男)
  • Q:ネバは何のために発射されるのですか。
    中村: ハマグリのネバは、悪い環境に遭遇したときに、そこから脱出するための緊急脱出装置として機能しているのではないかといわれてきました。そこで、どんなときハマグリがネバを出すのかを調べてみました。その結果、環境が悪くなくても、割合に単純な刺激でネバが発射されることがわかってきました。例えば貝に水流の刺激を与えるだけでもネバを出します。また、貝が砂にもぐっている状態で、飼育容器の海水を抜き取り、しばらくしてから暗いところで海水を加えると、ハマグリは砂の上にはい出してきます。ここで部屋を明るくすると、一部の個体は砂の上を走り回って、ネバを出します(図6)。
  • Q:なんでネバを出すのか、ますますその理由がわからなくなりますね。
    中村: これは私の仕事ではないのですが、有明海の白川干潟の調査によれば、小さな若いハマグリは白川本流近くのある場所に集中して生息しています。成長するにつれて、おそらくはネバの助けを借りて、そこから干潟全体に分散していきます。もし、こうしたこと(川近くでの稚貝の集中的な分布とその後のネバによる移動)がどこの干潟でも一般的に起きているとするなら、ネバを出す理由が一応説明できます。
     つまり、川の近くは天敵が少ないので、小さな貝には住みやすい場所です。水中生活をしているハマグリの幼生は、川近くの安全な場所を選んで砂にもぐる生活を始めるのでしょう。ところが、何年かに一度、洪水が起こると、川の近くは厚い泥で覆われてしまい、貝は全滅してしまいます。そこで、全滅の危険を避けるために、泥に埋まる前にネバを使って、泥の影響を受けにくい場所に移動するのではないかと考えています。
  • Q:今後どのように研究を進めていきたいですか。
    金谷: 現在でも多くの干潟が消失の危機にさらされています。干潟の生態系で起こっている現象を明らかにし、干潟のもつ役割を正しく評価したいです。最終的には人と自然のよりよい関わり方や東京湾のような極度に改変された沿岸域の保全や管理のあり方まで考えていきたいです。

    中村: ネバの発射のように、役立つ研究に見えなくてもハマグリの性質をきちんと理解することが最終的には保全に役立つと考えています。

コラム

  • 蜃気楼をつかむ:ハマグリのネバよもやま話
     史記の天官書に「海辺の蜃(大ハマグリ)の吐く気(透明でモワッとしたもの:ネバ?)は変じて楼(たかどの)となる」という記述がある。ここで蜃は水龍を表すという説もあるが、江戸の画家鳥山石燕はハマグリ説を取り、画集「今昔百鬼拾遺」の中の「妖怪蜃気楼」で、ハマグリが吐き出したネバの中に楼台が浮かび上がる様子を鮮やかに描いている。

     古事記によれば、大黒さまは醜男だった。しかし、あるとき赤貝の粉末をハマグリの「母の乳汁」(おものちしる)で溶いて顔にパックするとたちまちイケメンになったという。ここで母の乳汁はスープのことといわれているが、筆者はネバだと信じている。カタツムリのネバが美容に良いといわれているのだから……。

     東京帝国大学教授の岸上鎌吉は、ハマグリがネバを発射し、浅場を移動するという漁師の話に興味をそそられた。そこで、隅田川河口近くで青ギスの脚立釣りをしながら水中に目を凝らした。待つこと数時間、脚立にネバが絡み身動きの取れなくなったハマグリを見つけた。岸上が講義の余談でこのことにふれたのを記憶していた内田恵太郎は、赴任先の朝鮮半島の干潟で、ハマグリのネバによる移動がどの季節にどれだけ起きるのかという先駆的な研究をし、1941年に論文を発表した。その後1984年に、米国の研究者らによる「アメリカのシジミもネバを出して移動する」という内容の論文がScienceに掲載されたが、ここに内田の研究は引用されていない。内田の論文が日本語のみで記されていたためであろう。残念である。(中村泰男)